原点回帰的短編集「女のいない男たち(村上春樹)」レビュー

久しぶりに村上春樹の本を読んだ。「女のいない男たち」という短編集だ。

 

高校時代に「ねじまき鳥クロニクル」を読んでから村上ワールドにはまり、翻訳物を除いて、村上春樹の本はエッセイも小説もほとんど読んできた。

 

ところが「1Q84」が出た頃からなんとなく違和感を感じ始めた。

作者の年齢は60代に入るのに登場人物の年齢は相変わらず30代。

自分の年齢と作中の登場人物の年齢が近くなり、作者が描き出す30代の男女にリアリティーや共感を感じることができなくなっていた。

 

村上春樹の書く小説の多くは、もともと非現実な設定ではあるが、現実の延長線上に非現実な世界があって、誰でもちょっとしたきっかけがあればその物語世界に入ってしまいそうな感覚があった(例えば、アリスが穴に落っこちて不思議の国に足を踏み入れてしまうように)。

「1Q84」は決して退屈な小説ではないし、物語に潜む不快感や暴力の影といったものは感じることはできたが、物語を読み進める楽しみは感じることができなかった。

 

その傾向は「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」で一層強まり、それ以来、なんとなく村上春樹の本から遠ざかっていた。

 

今年に入って「猫を棄てる 父親について語るとき」が本屋に平積みにされているのを見たときに、久しぶりに村上春樹の本が読みたくなって図書館で「女のいない男たち」を借りてみた。

 

「女のいない男たち」は文藝春秋やMONKEYという柴田元幸氏が主催する文芸誌に掲載された5編プラス書き下ろしの1編が収められた短編集だ。

 

主人公は年齢も職業も様々な男たち。

全体の感じは初期の「回転木馬のデッドヒート」に似て、作者の周りに実在する(と思わせる)人物について語った短編が多い。

現実にあってもおかしくないような話(「ドライブ・マイ・カー」や「イエスタデイ」)、非現実的でちょっと不思議な話(「木野」や「女のいない男たち」)、そしてその中間に位置する話(「独立器官」と「シェエラザード」)が収められている。

 

「木野」や「シェエラザード」では、(おそらく意図的に)重要な箇所が語られておらず、物語も完結せずに、続きが気になるところで終わっている。

これまでにもあったように、これらの短編がのちのち長編小説に発展するのではないかと期待させる。

 

特に印象に残ったのは、「イエスタデイ」。

学生時代にアルバイトで知り合った浪人生の木樽(きたる)は、東京生まれ東京育ちなのに完璧な大阪弁を話す。

動詞やらアクセントやらを覚えて、外国語を習得するように大阪弁をマスターする情熱はあるのに、受験勉強には身が入らず、2浪中。

マイペースに大阪弁を話すユーモラスな木樽と、思い込んだら一途な木樽のギャップが切なく、最後は少し泣いてしまった。

 

久しぶりに村上春樹の原点回帰のような短編集を読むことができ、純粋に嬉しかった。

巷では村上春樹オワコン説も流れていたようだが、他の作家には絶対真似できない村上ワールドに触れて、改めて村上春樹の凄さを感じた。

初期の村上作品は好きだが、最近遠ざかっていた、という人にこそ読んでもらいたい短編集だ。

 

このエントリーをはてなブックマークに追加

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。